芽生え -3-
つづきからどうぞ
人の動く気配に、高虎の意識は静かに覚醒してゆく。
薄く瞼を開けば、板壁の隙間から矢のように差し込む光が瞳に映った。
どうやら、木々を張り倒すような横殴りの吹雪は止んだようだ。
「おい」
凛と澄んだ涼やかな声に、高虎はいまだ眠気に翳っている瞳を腕の中の男へと向けた。
赤錆色の瞳に鋭い眼光が宿っているのを、視界に捉えた高虎は眉をやや吊り上げた。
「その様子ならば、もう平気だな」
男と肌を温めあったのだ。さぞ機嫌を損ねただろう。
どう吼えるだろうかと、高虎は冷笑を口端に滲ませたが
「………ああ。おかげでな。感謝する」
沈着冷静な高虎が珍しく面食らった。
これは夢か?
「傲慢なあんたが素直に礼を言うとはな。これは、天候が荒れる」
「当然のことを口にしたまでだ」
三成は上半身を起こすと、腕を締めつける青い手ぬぐいを見やった。
その布は夥しい血によって赤黒く変色し、どす黒い不気味な血は大量の失血を物語っていた。
三成は、痛々しい腕から高虎へ視線を移し
「致命的ではないとはいえ、処置が遅れれば命を落としていただろう。貴様がいなければ、俺は志半ばで倒れ伏していた」
緊張感を孕んだ口調で呟いた。
「……志。皆が笑って暮らせる世を守るってやつか?」
「そうだ」
高虎の口が嘲笑に歪んだ。
皆が笑って暮らせる世を守る、聞こえは良いが、所詮は己の権威を守るためだろう。
三成を嘲笑う高虎だったが、玲瓏な声が高虎から笑みを拭い落とした。
「俺は秀吉様が築いた世を守りたい。秀吉様に取り立てていただいた恩に報いるためにな」
………トクン。
高虎の心臓が深い脈を打った。
志の根底にあるものは私欲ではなく恩義だというのか。
「貴様には感謝している。屋敷へ戻り次第、必ず返礼を出そう」
三成の表情には相変わらず愛想の欠片はない。
しかし、白く清らかな想いは高虎の心を惹きつけて離さない。
「期待しないでおこう。あんた、趣味が悪そうだ」
「一言多いのだよ。その物言い、敵を作るぞ」
「あんたに言われたくないな」
肩頬を上げてみせると、三成の口元が綻んだ。ああ、そうやって微笑むのか、笑みを浮かべれば可愛いものだ。
根底にあるものが同じだからといって、目の前の男に好意を抱いたわけではない。
だが、特別な感情が湧きいずる。
たった今生まれたこの情の名を明確にすることは高虎にはできなかった。
押し寄せる殺気が、戦闘の開始を告げていた。
高虎は雨戸を注視しつつ武器を握り締め、鉄扇に指を掛けた三成へ声を押し殺して言う。
「俺が囮になる。あんたは隙をみて逃げろ」
怪我人は足手まといだ。
それに、ここで死なせるわけにはいかぬ。絶対に。
「断る」
高虎の案をあっさり切り捨てるや、三成は鋭い視線と共に鉄扇を雨戸へ放った。
疾風を纏った鉄扇は虚空を切り裂くや、骨の砕ける音を立てた。
異音をあげて雨戸を蹴破った敵へ見事に命中し、その首をはね飛ばしたのだ。
首を失い血の匂いを撒き散らす屍の奥、外では幾人もの敵兵が半円型に陣を作り、刀を構えていた。
「二度も惨めな姿を晒すわけにはいかぬ。鬱陶しい雑魚共を一掃し、共に戻るぞ」
「ああ、そうだな」
血の気の薄い唇に不敵な笑みを浮かべる三成へ、高虎は口の端を吊り上げてみせた。
その転瞬、三和土を蹴って、細剣を振り斬った。
虚空に出現した岩ほどの氷塊が咆哮をあげる敵兵めがけて飛来する。
頭蓋の砕ける響きを聞きながら、高虎は三成と共に前進した。
秀吉のために
まだ見ぬ主のために
-終-
人の動く気配に、高虎の意識は静かに覚醒してゆく。
薄く瞼を開けば、板壁の隙間から矢のように差し込む光が瞳に映った。
どうやら、木々を張り倒すような横殴りの吹雪は止んだようだ。
「おい」
凛と澄んだ涼やかな声に、高虎はいまだ眠気に翳っている瞳を腕の中の男へと向けた。
赤錆色の瞳に鋭い眼光が宿っているのを、視界に捉えた高虎は眉をやや吊り上げた。
「その様子ならば、もう平気だな」
男と肌を温めあったのだ。さぞ機嫌を損ねただろう。
どう吼えるだろうかと、高虎は冷笑を口端に滲ませたが
「………ああ。おかげでな。感謝する」
沈着冷静な高虎が珍しく面食らった。
これは夢か?
「傲慢なあんたが素直に礼を言うとはな。これは、天候が荒れる」
「当然のことを口にしたまでだ」
三成は上半身を起こすと、腕を締めつける青い手ぬぐいを見やった。
その布は夥しい血によって赤黒く変色し、どす黒い不気味な血は大量の失血を物語っていた。
三成は、痛々しい腕から高虎へ視線を移し
「致命的ではないとはいえ、処置が遅れれば命を落としていただろう。貴様がいなければ、俺は志半ばで倒れ伏していた」
緊張感を孕んだ口調で呟いた。
「……志。皆が笑って暮らせる世を守るってやつか?」
「そうだ」
高虎の口が嘲笑に歪んだ。
皆が笑って暮らせる世を守る、聞こえは良いが、所詮は己の権威を守るためだろう。
三成を嘲笑う高虎だったが、玲瓏な声が高虎から笑みを拭い落とした。
「俺は秀吉様が築いた世を守りたい。秀吉様に取り立てていただいた恩に報いるためにな」
………トクン。
高虎の心臓が深い脈を打った。
志の根底にあるものは私欲ではなく恩義だというのか。
「貴様には感謝している。屋敷へ戻り次第、必ず返礼を出そう」
三成の表情には相変わらず愛想の欠片はない。
しかし、白く清らかな想いは高虎の心を惹きつけて離さない。
「期待しないでおこう。あんた、趣味が悪そうだ」
「一言多いのだよ。その物言い、敵を作るぞ」
「あんたに言われたくないな」
肩頬を上げてみせると、三成の口元が綻んだ。ああ、そうやって微笑むのか、笑みを浮かべれば可愛いものだ。
根底にあるものが同じだからといって、目の前の男に好意を抱いたわけではない。
だが、特別な感情が湧きいずる。
たった今生まれたこの情の名を明確にすることは高虎にはできなかった。
押し寄せる殺気が、戦闘の開始を告げていた。
高虎は雨戸を注視しつつ武器を握り締め、鉄扇に指を掛けた三成へ声を押し殺して言う。
「俺が囮になる。あんたは隙をみて逃げろ」
怪我人は足手まといだ。
それに、ここで死なせるわけにはいかぬ。絶対に。
「断る」
高虎の案をあっさり切り捨てるや、三成は鋭い視線と共に鉄扇を雨戸へ放った。
疾風を纏った鉄扇は虚空を切り裂くや、骨の砕ける音を立てた。
異音をあげて雨戸を蹴破った敵へ見事に命中し、その首をはね飛ばしたのだ。
首を失い血の匂いを撒き散らす屍の奥、外では幾人もの敵兵が半円型に陣を作り、刀を構えていた。
「二度も惨めな姿を晒すわけにはいかぬ。鬱陶しい雑魚共を一掃し、共に戻るぞ」
「ああ、そうだな」
血の気の薄い唇に不敵な笑みを浮かべる三成へ、高虎は口の端を吊り上げてみせた。
その転瞬、三和土を蹴って、細剣を振り斬った。
虚空に出現した岩ほどの氷塊が咆哮をあげる敵兵めがけて飛来する。
頭蓋の砕ける響きを聞きながら、高虎は三成と共に前進した。
秀吉のために
まだ見ぬ主のために
-終-
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