残像
・想い合っているのにひとつになれない二人。
・青峰が少し女々しいです。
「……くそっ、何だよ、急に」
チャイムの音を背中に受けながら帰路に就く途中、青峰の頭に弾丸のごとく雨が降り注いだ。
鬱陶しい雨に舌打ちをすると、青峰は非難場所を求めて辺りを見回した。
目に留まったのは、ネットの向こう側に設けられた第四体育館だ。
……第四……か。
複雑な気持ちが青峰の胸を責め立てたが、明日で見納めになると思うと
足が自然と体育館へ向かっていた。
突然のゲリラ豪雨に喚く生徒達を追い越して、派手に飛沫を上げつつネットをくぐり
コンクリート屋根の下へ駆け込んだ。
暗い影が落ちる軒下から周囲に目を配ったが、
あるのは葉を落としたみすぼらしい木々と泥水を張った地面だけだった。
……くそっ!!
冷たい壁を殴れば、重い音が虚しく響き渡る。
……テツ。
黒子と初めて会ったのは、ここだ。
青峰がまだバスケを好きで、ありったけの情熱を注ぎ込んでいたあの頃。
放課後、練習をしようと青峰はここの扉を開けた。
そして、出会ったのだ。
「凄い雨ですね」
背後から扉の開く音が上がったと思いきや、抑揚のない呟きが青峰の耳朶を叩いた。
……この声は。
胸が騒いだ。
聞き間違えるはずがない。耳の奥にこびりついている。そう、この声は。
呼吸さえも忘れて振り返れば、ガラス玉みたいな透き通った瞳と視線が絡んだ。
「………テツ」
もっとも信頼していた相棒。
だが、青峰の類稀な才気が開花してからは、その存在意義は跡形もなく消滅した。
だから、あの日、青峰はコートに置き去りにした。
黒子は青峰のかつての相棒であり、そして……。
「何してんだよ」
「青峰君と同じです。雨宿りです。人の気配がして扉を開けたら青峰君がいました」
青峰君。久々に名を呼ばれて、無性に切なくなった。
「ただの通り雨のようなので、じきに止むと思います」
青峰の隣に佇むと、黒子は澱んだ空を仰ぎながら唇を開いた。
頭一つ分低い位置にある横顔を眺めていると、ふと、形の良い口元に心を捕らわれた。
薄い唇。水滴る滑らかな髪。澄んだ瞳。
こめかみにカッと熱が迸って、青峰は顔を背けた。
青峰が自分の気持ちに気が付いたのは中二の初夏頃だったか。
汗玉が浮かぶほどの暑苦しい中、黄瀬が犬のように黒子にじゃれていた。
青い髪をわしゃわしゃと掻き回す黄瀬にも、
注意を軽くするだけで結局その行為を許してしまう黒子にも青峰は腹を立てた。
この感情の正体は何なのか、始めは分からなかったけれど、しばらく経ってから理解した。
黒子が好きだと。
だが、黒子にこの淡い想いを告げることはなかった。
相棒をそういう目で見てしまう自分が許せなかった。
二人の関係が崩れてしまうことが、黒子を失うことが怖かった。
……犯しちまうか。
大粒の雨滴が這う透き通った肌が青峰の欲情を煽る。
相棒というネックは無くなったのだ。躊躇する理由が青峰には無かった。
それに明日は……。
「青峰君。これ、いりますか?」
乱暴な欲望に焚きつけられた青峰を呼んだのは感情を欠いた声だ。
スポーツ選手にそぐわぬ繊手が青峰の鼻先に差し出しているのはホットココアの缶である。
「さっき買ったんです。今日は寒いから」
「あ、ああ。サンキュ」
とくに断る理由もなくて、青峰はまだ温かいココアに手を伸ばした。
……あ。
冷たい指先と青峰の指が触れた。
指の先がじんと痺れて、懐かしさと愛おしさが青峰の胸に流れ込んでくる。
だが、黒子の手はすぐに離れてしまい、心地良いぬくもりが遠のいてゆく。
「っ、青峰君?」
華奢な腕を掴んで、驚愕に瞠目する黒子を引き寄せた。
落下した缶が鉄特有の乾いた音を立てながら転がって泥水の中に埋もれていくけれど、
そんなものに目もくれずに青峰は骨が軋むほど強く黒子を抱きしめた。
密着した華奢な体からは、とくんとくんと脈打つ鼓動が衣越しに伝わってくる。
心音が早い。
もの凄く。
黒子は拒まない。
それどころか硬直していた体を弛緩させるや、青峰の胸に小さい頭をそっと預け
「明日は卒業式ですね」
静かな声で言葉を紡いだ。
「雨宿りに来たのは嘘です。本当は……」
黒子が最後まで想いを告げることはなかった。
青峰が手の平を突き出して身を引き離してしまったからだ。
地面に視線を投げたまま、身を翻し、いまだに降りつづける雨の中へ飛び出した。
「青峰君っ!」
悲痛な声が青峰の背を追いかけてきたが、青峰は振り返らなかった。
今更、 想いを告げ合ったところで何も生まれない。
バスケを通じて二人は出会った。
黒子は己の実力に限界を悟り、挫折した。
沈む黒子を励まし、光の場所へ導いたのが青峰だ。
バスケは二人の絆そのものである。そのバスケで袂を分かってしまったのだ。
絆はぶ千切れた。
好きだの何だの吐き合ったところで、大事なところで繋がっていないのだから
結局、傷つけ合うだけだ。
雨が青峰の目を襲い、青峰は瞼を閉じる。
凄烈な光に影は煙のように消失してしまったというのに、
微かに微笑んで拳を伸ばしてくるあいつの姿が、瞼の裏に焼き付いていて離れなかった。
-End-
・青峰が少し女々しいです。
「……くそっ、何だよ、急に」
チャイムの音を背中に受けながら帰路に就く途中、青峰の頭に弾丸のごとく雨が降り注いだ。
鬱陶しい雨に舌打ちをすると、青峰は非難場所を求めて辺りを見回した。
目に留まったのは、ネットの向こう側に設けられた第四体育館だ。
……第四……か。
複雑な気持ちが青峰の胸を責め立てたが、明日で見納めになると思うと
足が自然と体育館へ向かっていた。
突然のゲリラ豪雨に喚く生徒達を追い越して、派手に飛沫を上げつつネットをくぐり
コンクリート屋根の下へ駆け込んだ。
暗い影が落ちる軒下から周囲に目を配ったが、
あるのは葉を落としたみすぼらしい木々と泥水を張った地面だけだった。
……くそっ!!
冷たい壁を殴れば、重い音が虚しく響き渡る。
……テツ。
黒子と初めて会ったのは、ここだ。
青峰がまだバスケを好きで、ありったけの情熱を注ぎ込んでいたあの頃。
放課後、練習をしようと青峰はここの扉を開けた。
そして、出会ったのだ。
「凄い雨ですね」
背後から扉の開く音が上がったと思いきや、抑揚のない呟きが青峰の耳朶を叩いた。
……この声は。
胸が騒いだ。
聞き間違えるはずがない。耳の奥にこびりついている。そう、この声は。
呼吸さえも忘れて振り返れば、ガラス玉みたいな透き通った瞳と視線が絡んだ。
「………テツ」
もっとも信頼していた相棒。
だが、青峰の類稀な才気が開花してからは、その存在意義は跡形もなく消滅した。
だから、あの日、青峰はコートに置き去りにした。
黒子は青峰のかつての相棒であり、そして……。
「何してんだよ」
「青峰君と同じです。雨宿りです。人の気配がして扉を開けたら青峰君がいました」
青峰君。久々に名を呼ばれて、無性に切なくなった。
「ただの通り雨のようなので、じきに止むと思います」
青峰の隣に佇むと、黒子は澱んだ空を仰ぎながら唇を開いた。
頭一つ分低い位置にある横顔を眺めていると、ふと、形の良い口元に心を捕らわれた。
薄い唇。水滴る滑らかな髪。澄んだ瞳。
こめかみにカッと熱が迸って、青峰は顔を背けた。
青峰が自分の気持ちに気が付いたのは中二の初夏頃だったか。
汗玉が浮かぶほどの暑苦しい中、黄瀬が犬のように黒子にじゃれていた。
青い髪をわしゃわしゃと掻き回す黄瀬にも、
注意を軽くするだけで結局その行為を許してしまう黒子にも青峰は腹を立てた。
この感情の正体は何なのか、始めは分からなかったけれど、しばらく経ってから理解した。
黒子が好きだと。
だが、黒子にこの淡い想いを告げることはなかった。
相棒をそういう目で見てしまう自分が許せなかった。
二人の関係が崩れてしまうことが、黒子を失うことが怖かった。
……犯しちまうか。
大粒の雨滴が這う透き通った肌が青峰の欲情を煽る。
相棒というネックは無くなったのだ。躊躇する理由が青峰には無かった。
それに明日は……。
「青峰君。これ、いりますか?」
乱暴な欲望に焚きつけられた青峰を呼んだのは感情を欠いた声だ。
スポーツ選手にそぐわぬ繊手が青峰の鼻先に差し出しているのはホットココアの缶である。
「さっき買ったんです。今日は寒いから」
「あ、ああ。サンキュ」
とくに断る理由もなくて、青峰はまだ温かいココアに手を伸ばした。
……あ。
冷たい指先と青峰の指が触れた。
指の先がじんと痺れて、懐かしさと愛おしさが青峰の胸に流れ込んでくる。
だが、黒子の手はすぐに離れてしまい、心地良いぬくもりが遠のいてゆく。
「っ、青峰君?」
華奢な腕を掴んで、驚愕に瞠目する黒子を引き寄せた。
落下した缶が鉄特有の乾いた音を立てながら転がって泥水の中に埋もれていくけれど、
そんなものに目もくれずに青峰は骨が軋むほど強く黒子を抱きしめた。
密着した華奢な体からは、とくんとくんと脈打つ鼓動が衣越しに伝わってくる。
心音が早い。
もの凄く。
黒子は拒まない。
それどころか硬直していた体を弛緩させるや、青峰の胸に小さい頭をそっと預け
「明日は卒業式ですね」
静かな声で言葉を紡いだ。
「雨宿りに来たのは嘘です。本当は……」
黒子が最後まで想いを告げることはなかった。
青峰が手の平を突き出して身を引き離してしまったからだ。
地面に視線を投げたまま、身を翻し、いまだに降りつづける雨の中へ飛び出した。
「青峰君っ!」
悲痛な声が青峰の背を追いかけてきたが、青峰は振り返らなかった。
今更、 想いを告げ合ったところで何も生まれない。
バスケを通じて二人は出会った。
黒子は己の実力に限界を悟り、挫折した。
沈む黒子を励まし、光の場所へ導いたのが青峰だ。
バスケは二人の絆そのものである。そのバスケで袂を分かってしまったのだ。
絆はぶ千切れた。
好きだの何だの吐き合ったところで、大事なところで繋がっていないのだから
結局、傷つけ合うだけだ。
雨が青峰の目を襲い、青峰は瞼を閉じる。
凄烈な光に影は煙のように消失してしまったというのに、
微かに微笑んで拳を伸ばしてくるあいつの姿が、瞼の裏に焼き付いていて離れなかった。
-End-
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