遠い道程
・青→←←黒
・中二の終わり頃。青峰の鬱憤を受け止めようとする健気でイケメンな黒子。
重い扉を押すと、雲間から漏れる日差しが静かにアスファルトを照らしていた。
さっきまで晴れていたというのに季節の変わり目のせいか、三月は天気の変化が激しい。
一雨来る前に要件を済ませようと、黒子は後ろ手で扉を閉めて、
壁に貼り付いた梯子に腕を伸ばした。
だが、掴む直前で手が固まってしまう。
「ぁ! んぁ……」
女の子の甘い声。
しばし逡巡したものの、黒子は梯子に足を掛けて、
貯水タンクが佇む……彼がいつも昼寝に使うペントハウスを目指した。
察した通り、貯水タンクの陰では男女が深く絡み合っていた。
「すみません」
「きゃ!」
デリカシーが無いと承知の上で黒子が声を絞り出すと、
男の対面に座っていた女の子が黒く縁どられた目をひん剥いた。
「いつからいたのよ! 変態! マジ最低! ありえないし!!」
彼女は豊かな曲線で描かれた体をベストで隠すと、
引き留めようと伸びてきた男の腕を叩いて逃げ出した。
「……おい、邪魔すんなよ」
喚き声が消えて、辺りは物音一つしない静寂に包まれたが、
怒りを孕んだ低い声がそれを破った。
タンクに背を預けていた男が肩越しに黒子を睨みつける。
ほんの数か月前までは人懐っこい笑みを満面に浮かべていたというのに。
最愛の相棒の変貌は正視するに堪えられないほど辛かった。
同時に昂ぶった悲鳴を迸る彼に何もしてやれない自分に痛憤した。
「すみません。……最近、授業をさぼっていると聞きました。
ちゃんと出てください。桃井さんが心配しています」
「ごちゃごちゃうっせーな。退け、邪魔だ」
青峰はカチャカチャとベルトを鳴らしてスラックスを正すと、
毅然とした態度を装う黒子の胸を小突いた。
たったそれだけで、スポーツマンらしからぬ細い体はよろめいてしまう。
しかし、黒子はすぐに状態を立て直して、
梯子から降りようとしていた青峰の前に立ちはだかった。
「練習に出ろとは言いません。ですが、桃井さんに憂慮を抱かせないでください」
練習に出てください。
また一緒にバスケをしましょう。
心の底から切に願っているその想いは告げなかった。
青峰がバスケに情熱を注げば注ぐほど、バスケは彼を孤独にしてしまう。
それは、強者を渇望し、独りを嫌う彼にとって残酷なことだから。
「っ、青峰君」
瞬きを捨てて青峰を見据えていた黒子だったが、
突然、ネクタイに骨ばった指が掛って戸惑いに表情が揺れた。
仰げば、頭一つ分高いところにある深青色の瞳が飢えたような輝きに爛れている。
喉から一気に水分がなくなった。
こんな男は知らない。
「お前のせいで、ヤリ損ねて血が滾ってんだ。責任取れよ、テツ」
言葉を咀嚼するよりも早く、筋骨逞しい腕が黒子を押し倒し、乱暴にワイシャツを引き裂いた。
しなやかに引き締まった屈強な肉体に組み敷かれて、状況を理解できぬまま唇を塞がれる。
荒々しい息が黒子の頬を撫で、熱を帯びた舌が黒子の舌と絡み合い、淫靡な水音が鼓膜に響く。
……キス。
やっと頭が理解すると、羞恥に血潮がカッと煮え滾った。
両腕を突っぱねるが青峰の腕力は黒子を遥かに凌駕していた。
「ぷはっ! はっ、は! 青峰君……は、ぁ、ふざけないで……ください………」
息苦しさに眩暈を覚えたところでようやく解放され、
黒子は短い呼吸を繰り返して肺に酸素を送り込んだ。
混乱している思考回路を鎮めつつ、涙が浮かぶ瞳を青峰へ滑らせれば、首筋が震えた。
烈しい憤りがオーラとなって迸っていたからだ。
「ふざけてねーよ。むしゃくしゃしてんだ、付き合えよ」
凡人の黒子には想像もつかない天才故の飢餓に苛まれ、
その心中に鬱積した憤懣をぶつける相手に黒子を選んだようだ。
指先が冷えていく。
身の蹂躙を許せるはずがないし、捌け口の対象として扱われるのは酷く悲しかった。
……けれど。
「分かりました」
横たわると後頭部に固いアスファルトが触れた。
今にも降り出しそうな灰色の空を背景にこちらを見つめる双眼を見返しながら
「青峰君の気が少しでも晴れるなら、かまいません」
静かに答えると、黒子は目を瞑った。
絶望の淵で顔を深く深く俯けていた黒子に手を差し伸べてくれたのが青峰だ。
だから、今度は自分が彼を救いたい。
けれど、影である自分は彼が心から望んでいるものを差し出してやることはできない。
ならば、せめて一時だけでも苦痛を忘れさせてやりたかった。
そう覚悟を決めたというのに拳が勝手に戦慄いた。怖くないと言ったら、嘘になる。
……ポツ。
緊張に強張った頬に滴が落ちた。
雨だろうか。
反射的に目を開けば、そこには傲慢な男はいなかった。
あるのは悲痛を湛えた男だ。
鋭い目尻に涙が滲んでいるように見えるのは気のせいだろうか?
「……お前、重すぎんだよ。萎えたわ」
吐き捨てるように言うと、青峰は白いカーディガンを脱いで乱暴な手つきで放った。
黒子がそれを受け取って顔を上げたときには、青峰はすでに身を翻している。
広く、逞しい背中には深い影が溜まっていて、眺めているだけで目頭が熱くなった。
どうしてボクは彼の光になれないのだろう。
胸が苦しい。
だけど。
「絶対に諦めません」
唸りをあげる雨雲の下で、黒子はカーディガンを掻き抱いた。
瞼を閉じれば、鮮烈な輝きを放つ無邪気な笑顔が瞳の奥に蘇る。
……君が欲しているものを連れてきます。
雨が容赦なく身を叩く中、黒子は真っ直ぐ前を見据えた。
『青峰君より強い人なんて、すぐに現れますよ』
あの日、無責任な言葉を吐いて、青峰を期待させた。
その結果、青峰を深く失望させてしまった。
だから。
……運命に任せるのではなくて、僕の手で連れてきます。必ず。
道程は遠く、先は翳んでいるけれど、
望んだ場所に辿り着く可能性は限りなく0に近いけれど、
歩みを止めるつもりはなかった。
……もう一度、笑って欲しいから。
-End-
・中二の終わり頃。青峰の鬱憤を受け止めようとする健気でイケメンな黒子。
重い扉を押すと、雲間から漏れる日差しが静かにアスファルトを照らしていた。
さっきまで晴れていたというのに季節の変わり目のせいか、三月は天気の変化が激しい。
一雨来る前に要件を済ませようと、黒子は後ろ手で扉を閉めて、
壁に貼り付いた梯子に腕を伸ばした。
だが、掴む直前で手が固まってしまう。
「ぁ! んぁ……」
女の子の甘い声。
しばし逡巡したものの、黒子は梯子に足を掛けて、
貯水タンクが佇む……彼がいつも昼寝に使うペントハウスを目指した。
察した通り、貯水タンクの陰では男女が深く絡み合っていた。
「すみません」
「きゃ!」
デリカシーが無いと承知の上で黒子が声を絞り出すと、
男の対面に座っていた女の子が黒く縁どられた目をひん剥いた。
「いつからいたのよ! 変態! マジ最低! ありえないし!!」
彼女は豊かな曲線で描かれた体をベストで隠すと、
引き留めようと伸びてきた男の腕を叩いて逃げ出した。
「……おい、邪魔すんなよ」
喚き声が消えて、辺りは物音一つしない静寂に包まれたが、
怒りを孕んだ低い声がそれを破った。
タンクに背を預けていた男が肩越しに黒子を睨みつける。
ほんの数か月前までは人懐っこい笑みを満面に浮かべていたというのに。
最愛の相棒の変貌は正視するに堪えられないほど辛かった。
同時に昂ぶった悲鳴を迸る彼に何もしてやれない自分に痛憤した。
「すみません。……最近、授業をさぼっていると聞きました。
ちゃんと出てください。桃井さんが心配しています」
「ごちゃごちゃうっせーな。退け、邪魔だ」
青峰はカチャカチャとベルトを鳴らしてスラックスを正すと、
毅然とした態度を装う黒子の胸を小突いた。
たったそれだけで、スポーツマンらしからぬ細い体はよろめいてしまう。
しかし、黒子はすぐに状態を立て直して、
梯子から降りようとしていた青峰の前に立ちはだかった。
「練習に出ろとは言いません。ですが、桃井さんに憂慮を抱かせないでください」
練習に出てください。
また一緒にバスケをしましょう。
心の底から切に願っているその想いは告げなかった。
青峰がバスケに情熱を注げば注ぐほど、バスケは彼を孤独にしてしまう。
それは、強者を渇望し、独りを嫌う彼にとって残酷なことだから。
「っ、青峰君」
瞬きを捨てて青峰を見据えていた黒子だったが、
突然、ネクタイに骨ばった指が掛って戸惑いに表情が揺れた。
仰げば、頭一つ分高いところにある深青色の瞳が飢えたような輝きに爛れている。
喉から一気に水分がなくなった。
こんな男は知らない。
「お前のせいで、ヤリ損ねて血が滾ってんだ。責任取れよ、テツ」
言葉を咀嚼するよりも早く、筋骨逞しい腕が黒子を押し倒し、乱暴にワイシャツを引き裂いた。
しなやかに引き締まった屈強な肉体に組み敷かれて、状況を理解できぬまま唇を塞がれる。
荒々しい息が黒子の頬を撫で、熱を帯びた舌が黒子の舌と絡み合い、淫靡な水音が鼓膜に響く。
……キス。
やっと頭が理解すると、羞恥に血潮がカッと煮え滾った。
両腕を突っぱねるが青峰の腕力は黒子を遥かに凌駕していた。
「ぷはっ! はっ、は! 青峰君……は、ぁ、ふざけないで……ください………」
息苦しさに眩暈を覚えたところでようやく解放され、
黒子は短い呼吸を繰り返して肺に酸素を送り込んだ。
混乱している思考回路を鎮めつつ、涙が浮かぶ瞳を青峰へ滑らせれば、首筋が震えた。
烈しい憤りがオーラとなって迸っていたからだ。
「ふざけてねーよ。むしゃくしゃしてんだ、付き合えよ」
凡人の黒子には想像もつかない天才故の飢餓に苛まれ、
その心中に鬱積した憤懣をぶつける相手に黒子を選んだようだ。
指先が冷えていく。
身の蹂躙を許せるはずがないし、捌け口の対象として扱われるのは酷く悲しかった。
……けれど。
「分かりました」
横たわると後頭部に固いアスファルトが触れた。
今にも降り出しそうな灰色の空を背景にこちらを見つめる双眼を見返しながら
「青峰君の気が少しでも晴れるなら、かまいません」
静かに答えると、黒子は目を瞑った。
絶望の淵で顔を深く深く俯けていた黒子に手を差し伸べてくれたのが青峰だ。
だから、今度は自分が彼を救いたい。
けれど、影である自分は彼が心から望んでいるものを差し出してやることはできない。
ならば、せめて一時だけでも苦痛を忘れさせてやりたかった。
そう覚悟を決めたというのに拳が勝手に戦慄いた。怖くないと言ったら、嘘になる。
……ポツ。
緊張に強張った頬に滴が落ちた。
雨だろうか。
反射的に目を開けば、そこには傲慢な男はいなかった。
あるのは悲痛を湛えた男だ。
鋭い目尻に涙が滲んでいるように見えるのは気のせいだろうか?
「……お前、重すぎんだよ。萎えたわ」
吐き捨てるように言うと、青峰は白いカーディガンを脱いで乱暴な手つきで放った。
黒子がそれを受け取って顔を上げたときには、青峰はすでに身を翻している。
広く、逞しい背中には深い影が溜まっていて、眺めているだけで目頭が熱くなった。
どうしてボクは彼の光になれないのだろう。
胸が苦しい。
だけど。
「絶対に諦めません」
唸りをあげる雨雲の下で、黒子はカーディガンを掻き抱いた。
瞼を閉じれば、鮮烈な輝きを放つ無邪気な笑顔が瞳の奥に蘇る。
……君が欲しているものを連れてきます。
雨が容赦なく身を叩く中、黒子は真っ直ぐ前を見据えた。
『青峰君より強い人なんて、すぐに現れますよ』
あの日、無責任な言葉を吐いて、青峰を期待させた。
その結果、青峰を深く失望させてしまった。
だから。
……運命に任せるのではなくて、僕の手で連れてきます。必ず。
道程は遠く、先は翳んでいるけれど、
望んだ場所に辿り着く可能性は限りなく0に近いけれど、
歩みを止めるつもりはなかった。
……もう一度、笑って欲しいから。
-End-
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